2017年4月2日 更新

日本料理で世界のセレブを魅了する、アメリカンドリームの体現者(森本 正治)

アメリカでは、その名を知らない人はいない。かつて一世を風靡したテレビ番組「料理の鉄人」や、そのアメリカ版 「Iron Chef America」にも登場し、日米ともに“鉄人”として名を馳せているのが、シェフの森本正治だ。

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2015.12.7
アメリカでは、その名を知らない人はいない。かつて一世を風靡したテレビ番組「料理の鉄人」や、そのアメリカ版 「Iron Chef America」にも登場し、日米ともに“鉄人”として名を馳せているのが、シェフの森本正治だ。

現在、ニューヨーク、フィラデルフィア、ハワイ・ワイキキ、インド・ムンバイなど世界のあちこちで『MORIMOTO』ブランドのレストランを展開。和食をベースに創り上げた独創的な料理で世界のグルメを魅了し続けている。

ジャンルの枠にとらわれない独創的な発想を持つシェフであり、レストラン事業を成功に導いてきた経営者でもある。そんな彼の「モリモトイズム」は、いかにして育まれ、磨かれていったのか。その秘訣に迫った――。

■ルールを持たない。それが僕の料理のスタイル

アメリカを拠点に和食の可能性に挑戦し続ける、ひとりの日本人シェフがいる。森本正治、その人だ。

森本が提供するのは、固定概念を覆す独創性に富んだ和の世界。彼の手にかかれば、出会うことすらなかった食材たちが、器の上で見事なアンサンブルを繰り広げる。ジャンルの枠にとらわれない自由な発想は、訪れる人々に驚きと悦びをもたらす。

ゴージャスにして奇抜、感性を刺激するインテリアもまた、料理を一層引き立てている。
「ルールがないこと。それが僕の料理のルールであり、哲学ですね」。

学生時代は野球に明け暮れた。崇徳高校時代は野球部主将を務め、甲子園大会広島予選の決勝進出まで行ったこともある。「プロ野球選手か寿司屋になることが夢だった」という森本は、卒業後、寿司職人の道へと進む。

数年ほど働いた後、「隣の芝生が青く見え」、喫茶店を始めた。同時に、夜は寿司屋で深夜2時まで修行に励む。他にも、保険代理店、新聞配達など、できることはなんでもやった。がむしゃらに働いた結果、貯まったお金が1,200万円。それを元手に、アメリカ行きを決意する。1985年、ちょうど30歳の時だった。
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■アメリカ版「料理の鉄人」で一躍その名を轟かせる

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一体何が森本を異国の地へと駆り立てたのか。実は当初、4つの選択肢があったという。BMWを買う。家を買う。居酒屋をやる。アメリカに行く。30歳になったらこれらのどれかをやろうと心に決めていた。「その中から消去法でアメリカ行きを決めました。それ以外の3つはいつでも叶えることができると思ったから」。当時、カリフォルニアロールなどが人気を博し、寿司ブームに沸いていたアメリカを、自分の目で見てみたいという強い思いもあった。

おそらくこの時期、多くの寿司職人が同じ思いを抱き、海を渡ったに違いない。彼らにとって、森本は成功の象徴であり、アメリカンドリームの体現者といえるだろう。

渡米後は、昼と夜で別のレストランを掛け持ちしながら料理人としてのスキルを磨いた。1993年、縁あって、高級和食レストランの草分け『NOBU』にオープニングから参加し、総料理長に就任する。とはいえ、任命されたわけではない。自ら名乗り、名刺を作った。「誰にも文句を言さないような料理を作って、実力を見せていれば、不満の声などあがらない。ポジションはオファーされるものではなく、取るものだと思っているんです」。

実に彼らしさが表れたエピソードだ。声がかかるのを黙って待つのではなく、行動で示してチャンスを掴む。もちろん自信がないとできることではない。しかし、その裏には、誰よりも真摯に料理に向きあい、努力を重ねてきたストイックな姿があった。

森本の生み出すニュースタイルの日本食は、味にうるさいニューヨーカーたちをすぐさま魅了した。評判を聞きつけた日本のテレビ番組「料理の鉄人」からオファーを受け、「和の鉄人」として番組にも登場。世間の注目を浴びた。後に、「料理の鉄人」のアメリカ版「Iron Chef America」にも鉄人として出演し、全米で最も知られた日本人シェフとなる。

2001年には、『MORIMOTO』をフィラデルフィアでオープン。その後、ニューヨークやハワイ、インドと店舗を増やし、世界で『MORIMOTO』ブランドを展開。森本の創り上げた料理は、世界のセレブを魅了し続けている。
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■「こんなのは寿司じゃない」。日本人から批判され…

しかし、伝統を重んじる和食の世界では、その独創性を受け入れようとしない人も多かった。批判的な声を浴びせられたことも、一度や二度ではない。

「寿司バーがあるから和食にカテゴライズされているけれど、僕自身、『これは和食だ』と言ったことはない。でも、日本人は『こんなのは寿司じゃない』と言う。海外の和食を評価しようという姿勢がないんです。それが悔しかった」。

ニューヨークの『MORIMOTO NYC』は、建築家・安藤忠雄氏が設計を手がけ、総工費13億円をかけて作られた店だ。和のイメージを心地よく裏切る、斬新でドラマティックなその空間に、食通たちはこぞって訪れ、1店舗で年間10億円を売り上げる。開店からすでに10年が経つが、いまだに週末は500名の座席が予約で埋まる超人気店だ。「お客さんの98%が日本人以外。みんな笑顔で美味しそうに食事を楽しんでくれている。それが答えだと思っています」。

森本は言う。「出る杭は打たれるけれど、出過ぎた杭なら打たれない」。この言葉にこれほど説得力を持たせることのできる人物は、そういない。多くは、“出過ぎた杭”になる前に、荒波に飲み込まれて潰れてしまうからだ。しかし、眼鏡の奥で強い光を放つ森本の眼を見れば、その精神力の強さが分かる。

多くの決断と選択を繰り返し、今がある。その判断基準は、シンプルで明快だ。「好きか嫌いか、勝つか負けるか、敵か味方か。人と付き合う時やものを考える時には、その3つだけ。間がないんです。アメリカに来てから、そういう思考になりましたね」。

■お金の使い方を知らないと、もらう側にはなれない

「チャンスの神様には前髪しかない」。そんなことわざを体現するかのように、チャンスを掴み、着実にモノにしてきた。料理人としての並外れた能力はもちろんのこと、経営者としての才覚を持ち合わせていた証だろう。もともとシェフである森本はどのようにして経営のセンスを身につけてきたのだろうか。

「きちんとしたフォームを習って泳ぐと、波が後ろからついてくるように、しっかりとした料理のスキルさえ身につけておけば、お金は後からついてきます。それにアメリカでは、レストランオーナーのステイタスは、日本よりはるかに高い。成功率は日本より低いけれど、当たればひと桁大きい。それがアメリカという国です」。

「お金は大好き」と、きっぱり言い切る。そもそも実家が貧しく、大学進学を断念。18歳で働き始めてからは、いろんな仕事を掛け持ちしながら必死でお金を貯めた。今では「アメリカで一番税金を払う層になった」が、お金に対する考え方は、一貫している。「お金は、“使うもの”。自分の身銭を払う経験を積むことで、“お客さんからお金をもらうにはどうすればいいのか”を身を持って知ることができる。お客さんから、気持ちよくお金を使ってもらうにはどうすればいいか。それを知るためには、まず自分がお金を使って経験してみる。使い方が分からないと、もらい方だって分からないよね」。

■「NO」を言う前に「YES」の準備をする

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