流される力〜『お金原論』[第1回]〜

「お金」とは何か ── 。このシンプルな命題に、現代の視点から向き合おうというのが『お金原論』という新しい学問だ。現代において、私たちの生活とお金とは一蓮托生だ。お金の悩みから解放され、自由な時間を産み出し、心に描く夢のライフスタイルを実現したい。そんなあなたへ。

2017.7.4
『お金原論』という本の命題は、「お金とは何か」ということ。
「お金」という軸を通じて自分自身をニュートラルに見ることができれば、人生をもっともっと楽しめるようになるだろう。
これから毎回、『お金原論』の中身を少しずつ伝えていく。すべてが賛同を得られるものであるという確信はない。しかし、生活や人生と切っても切り離せない「お金」というものについて、1人でも多くの人に「お金とは何か」という議論に加わっていただければ幸いである。

流される力

多くの人は「お金が貯まらない」とか「お金の不安がない生活をしたい」と思っていても、何をすればよいのかがわからない。しかし、現在の自分のSTAGEと課題がわかれば、どのような行動をとればお金の悩みから解放され、信用を高め、自由でゆとりある生活が送れるのかが一目瞭然になる。
もしあなたが今の生活に満足できておらず、将来に何かしらの不安を抱えているのであれば、騙されたと思ってでも「お金の教養STAGEチェックリスト」で浮き彫りになった課題を行動に起こしてみよう。なぜなら、何も行動を起こさないままでは、目の前の問題や不安が大きくなることこそあれ、解決することはないからだ。
日本には昔から、自分の考えをしっかり持っていることを、美徳かつ大人の人間として評価するという文化がある。しかし、さらに一歩成長したいという過程においては、「我」は捨てたほうが賢明だ。
なぜなら、先ほども述べたように、もしもあなたが現在、お金の悩みや不安を抱えているとしたら、厳しい言い方をすれば、それは「これまでのお金に対する判断が正しくなかった」ということの結果だ。そうであれば、「我」や、未熟であるかもしれない考えを捨て、結果を出している人の考え方や判断を素直に吸収しながら行動したほうが正しい結果に結びついていく確率は高いといえる。こういった行動ができる力を、私は「流される力」と呼んでいる。
自分のこれまでの経験は、積もり積もって自分の「常識」となる。しかし、当たり前かもしれないが、常識は人によって違う。
日本では食事のとき、お椀は手で持たないと失礼にあたる。一方で韓国では、お椀を持たずに置いたまま食べるのが礼儀として正しいとされる。つまり、日本の常識は、世界の常識ではないのだ。
ビジネスにおいても、「メールでは失礼だと思ったので、電話をしました」という人がたまにいるが、忙しい人、電話が好きではない人にとっては、礼儀どころか、かえって迷惑にあたる。
自分の中の常識は、必ずしも他人の常識ではない。このことをしっかり自覚すれば、「我」は捨てられる。
仕事柄、これまで多くの経営者にお会いしてきたが、世間では「カリスマ経営者」と呼ばれ、「我」が強いイメージが浸透していても、実際には驚くほど「流される力」が高い人は少なくない。信頼している相手からアドバイスされたら、次の日には仕事で実行してみる。お勧めの商品やレストランを教えてもらったら、10秒後にはスマートフォンから商品ページにアクセスし、注文する。スケジュールを開き、空いている日程に予約を入れる。そこに「我」は存在しない。
こうした「流される力」の効用は想像以上に大きい。
なぜなら、すぐに実行に移すことで、自分がどんどんと新しい経験を積み、成長できる。仮に、やってみたら思ったほどでもなかったということがあったとしても、それ自体が立派な経験として自分の中に残る。
また、「流される力」があればあるほど、周りから目をかけてもらいやすくなる。実行に移さない人にはいずれ誰もアドバイスをくれなくなるが、すぐに実行しているのを見れば誰だって嬉しい。「また良い情報があれば教えてあげよう」と思うのが人の心理というものだ。
そもそも、誰かがアドバイスをしてくれるということは、有限である自分の「時間」をあなたのために使ってくれているということだ。その相手がその分野においてあなたよりSTAGEの高い人であれば、その時間単価もあなたより高いはずだ。それを無駄にするのは、自分のためにならないばかりか、相手にも失礼だ。「流される力」なくして自分よりSTAGEの高い相手との信頼関係は生まれないのだ。
(『お金原論』211〜216ページより転載)