2019.2.14
教えられたことは必ず実行に移そう
繰り返しになりますが、「我」に執着したり、意見を頑固に通そうとすると、アドバイスや指導をしてくれる人がいなくなってしまいます。
逆の立場で考えると、
逆の立場で考えると、
アドバイスを聞き入れない人には、アドバイスしたくなくなる
ことに、昔、僕は気づきました。
そうなると、その人は成長のチャンスを逃してしまいます。大きな機会損失というリスクを背負うことになるのです。
そうなると、その人は成長のチャンスを逃してしまいます。大きな機会損失というリスクを背負うことになるのです。
高橋尚子選手と小出義雄監督の関係を例にあげましたが、小出監督は、著書『君ならできる』(幻冬舎)の中で、次のように述べています。
「強くならない子は、自分の心を閉ざしてしまっている。いくら私の経験で強くなる
ように指導してあげても、一扉を閉めているから入っていけないのだ。
高橋はいつも開けておいてくれるから、私がいうと心にスーッと入っていって大きくなる。またいうと、また大きくなる。どんどん、どんどん大きく伸びる」
ように指導してあげても、一扉を閉めているから入っていけないのだ。
高橋はいつも開けておいてくれるから、私がいうと心にスーッと入っていって大きくなる。またいうと、また大きくなる。どんどん、どんどん大きく伸びる」
たとえば、おいしいラーメン店を紹介したにもかかわらず、相手が行かなかったとしたら、教えた人は「この人は、教えても実際に行くことはしないんだな」と思い、それ以後、その相手に良い情報を教えなくなってしまうでしょう。
一方で、紹介されたラーメン店に足を運んで食べてきたとしたらどうでしょうか。
きっと教えた人も、「自分のおすすめのお店にわざわざ行ってくれたんだ」とうれしい気持ちになり、その相手にまた違うお店の情報を教えたくなるに違いありません。
僕は、フレンチレストランにくわしい人から「○○においしいフレンチを出すレストランがあるよ」と言われたら、必ず行くようにしています。
僕は、フレンチレストランにくわしい人から「○○においしいフレンチを出すレストランがあるよ」と言われたら、必ず行くようにしています。
何十軒、何百軒とフレンチの店を知っている人がおすすめするくらいですから、おいしい可能性が高いですし、たとえ自分の口に合わなかったとしても、食事代以上の損失を被ることはありません。
それよりも、もしも教えられたとおりに足を運ばなかったら、2つの大きな損失があると僕は考えます。
1つは、おいしいレストランに出合える機会を逃すこと。
2つめは、
2つめは、
「この人に教えても行動はしないんだな」と思われて、信頼関係を築けなくなる
ことです。
素直に行動することによって、この2つの損失をまぬがれることができるなら、素直に行動しない理由はありません。
素直に行動することによって、この2つの損失をまぬがれることができるなら、素直に行動しない理由はありません。
これは、たかがレストランのお話ですが、このような小さな行動を積み重ねることによって、トラスティとの信頼を築くことができます。
そうすると、トラスティは次のように考える可能性が出てきます。
そうすると、トラスティは次のように考える可能性が出てきます。
→彼にレストランを教えると、必ず実際に食べに行って報告してくれる。なかなか教えがいのある人間だな
→では、次はおすすめの本を紹介しよう
→次は、彼に合いそうな知人を紹介しよう
→今度は、彼のビジネスに役立ちそうなアイデアを教えてあげよう
→では、次はおすすめの本を紹介しよう
→次は、彼に合いそうな知人を紹介しよう
→今度は、彼のビジネスに役立ちそうなアイデアを教えてあげよう
トラスティの立場になって考えれば、愚直に教えたことを実行してくれる人のことは信頼し、「もっといい情報を教えてあげよう」「もつと役に立つことをしてあげよう」と思うのが自然な感情の流れだといえるでしょう。
「良くなってほしい」という気持ちをくみとる
自分が他人に良い情報を教える立場になるとわかりますが、教えるということは、「本当に相手に良くなってもらいたい」「楽しんでもらいたい」と思っているのです。
良くなってほしくない人に、良い情報を与えようと思う人は、まずいないでしよう。
そういう気持ちをくみとることなく、「自分はこうだから」と「我」を張って行動を起こさない人には教えたくなくなってしまいます。
教えられるほうとしては、受け入れる体制ができていないと教えてもらえません。「自分には教えてくれる人がいない」というのは、一異を返せば自分が相手を受け入れていないということだといえると思います。
教えられるほうとしては、受け入れる体制ができていないと教えてもらえません。「自分には教えてくれる人がいない」というのは、一異を返せば自分が相手を受け入れていないということだといえると思います。
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