2017.12.5
『お金原論』という本の命題は、「お金とは何か」ということ。
「お金」という軸を通じて自分自身をニュートラルに見ることができれば、人生をもっともっと楽しめるようになるだろう。
これから毎回、『お金原論』の中身を少しずつ伝えていく。すべてが賛同を得られるものであるという確信はない。しかし、生活や人生と切っても切り離せない「お金」というものについて、1人でも多くの人に「お金とは何か」という議論に加わっていただければ幸いである。
「お金」という軸を通じて自分自身をニュートラルに見ることができれば、人生をもっともっと楽しめるようになるだろう。
これから毎回、『お金原論』の中身を少しずつ伝えていく。すべてが賛同を得られるものであるという確信はない。しかし、生活や人生と切っても切り離せない「お金」というものについて、1人でも多くの人に「お金とは何か」という議論に加わっていただければ幸いである。
お金の教養STAGEとは何か
私が「お金」と「人の思考や行動」とのかかわりに興味を持つようになって20余年。そして、金融経済教育に携わって15年。この長い歳月の間、このテーマは本来、飽き性である私を一度も飽きさせることなく、探究心を刺激し続けている。
私がこうしたことに興味を持った原体験には、身の回りで感じたいくつかの「違和感」がある。お金との付き合い方における「正解」が状況によって異なるように感じたり、同じような行動であっても、人によってその行動が「正解」かどうかが分かれるように感じたり。こうした違和感が私の探究心を呼び覚まし、長い歳月をかけて仮説と分析を繰り返した結果、本章のタイトルでもある「お金の教養STAGE」をはじめとする「STAGE」という概念フレームワークが誕生したのである。
違和感とは、たとえばこんなことだ。普段は生活用品の多くを100円ショップで調達している主婦が、テレビのワイドショーで、有名芸能人が100円ショップで買い物をしているという報道を見ると、「あの芸能人はケチだ」と言う。自分と行動は同じであるにもかかわらず、だ。
この矛盾を解き明かすのが、お金の教養STAGEだ。
100円ショップで買い物をするという消費行動そのものは、自分と同じだ。それなのに、自分のことを棚に上げて「ケチ」「お金に細かい」と揶揄する。
違う点は、それぞれの経済状況だ。
その主婦が管理している生活費が毎月8万円だとしたら、その中でやりくりをするために100円ショップで買い物をするのは正しい消費行動だ。
一方、仮に年収1億円の芸能人が100円ショップに行くと、潤沢にお金があるのに100円ショップに行くのは正しくない消費行動だ、と捉えられてしまう。本来はその行動自体に非難されるべき理由はどこにもないはずにもかかわらず、だ。
なぜ、同じ行動をとっているにもかかわらず、このような受け止め方のズレや違和感が生じるのか。
それは、私たちの潜在意識の中に「人は経済状況に見合ったお金との付き合い方をするべき」という思考があるからである。「月8万円の生活費の中でやりくりするには100円ショップが適切」という意識が、同時に、「年収1億円の中であればもっと高い消費を行うのが当然」という意識を生むのである。
これとは逆の現象もある。
一流のプロスポーツ選手がポルシェに乗っているのは、それほど違和感がない。しかし、社会人になりたての20代の若者がポルシェに乗っていたらどうだろうか。
スポーツ選手がポルシェに乗っている姿を見ると私たちはこう思う。「並大抵ではない努力をしてきて今の地位を獲得したのだから、ポルシェに乗るくらい当然だ」と。一方で20代の若者に対してはこう思う。「まだ稼ぎも少ないのに、ポルシェに乗るなんて早すぎる」と。
この場合も、「ポルシェを買う」という消費行動そのものは同じ。違うのは、2人の経済状況だ。
一流、つまり高い年俸を稼いでいるスポーツ選手であれば、ポルシェを買うのは正しい消費行動だと多くの人が感じる。だが、収入が少ないであろう若者がそれと同じ消費行動をとると、金銭感覚に問題があるように映ってしまうのである。
こうしたズレや違和感こそが、お金の教養STAGEの考え方の原点なのである。
(『お金原論』170〜172ページより転載)
via www.amazon.co.jp