日常生活での相手の得を考えて動く思考習慣をつける~『お金原論』[第20回]〜

「お金」とは何か ── 。このシンプルな命題に、現代の視点から向き合おうというのが『お金原論』という新しい学問だ。現代において、私たちの生活とお金とは一蓮托生だ。お金の悩みから解放され、自由な時間を産み出し、心に描く夢のライフスタイルを実現したい。そんなあなたへ。

2018.5.1
『お金原論』という本の命題は、「お金とは何か」ということ。
「お金」という軸を通じて自分自身をニュートラルに見ることができれば、人生をもっともっと楽しめるようになるだろう。
これから毎回、『お金原論』の中身を少しずつ伝えていく。すべてが賛同を得られるものであるという確信はない。しかし、生活や人生と切っても切り離せない「お金」というものについて、1人でも多くの人に「お金とは何か」という議論に加わっていただければ幸いである。

日常生活での相手の得を考えて動く思考習慣をつける

日常生活での人間関係も、労働者と会社という雇用関係も、私たちを取り巻くすべての関係は、ギブ・アンド・テイクでなければその関係を長く続けることはできない。
「食事に行くといつもおごってもらっているけれど、私の何倍も収入がある人だから問題ないだろう」
「この間コーヒーをご馳走になったけれど、上司だから当然だろう」
こうした思考は、厳しい言い方をすれば非常に自己中心的だ。確かに懐事情だけで捉えれば、正論のように思えなくもないが、これだけでは相手にとっては「ギブ」しかなく、アンバランスだ。
だからといって、フェアになるよう次回はこちらがご馳走しなければ、という話ではない。しかし、アンバランスなままでは、遅かれ早かれ関係性は保てなくなる。こうした場合には、お礼の手紙をしたためる、仕事の成果で報いるなど、「お金」以外の相手の得になる方法で「テイク」することで、バランスをとっていくことが大切だ。
おごってもらいっ放し、ご馳走になりっ放しで何のお返しもできていないままになっていたとしたら、あなたの信用に知らず知らずのうちに傷がついている可能性は高い。
お願い事や交渉事でも同じことがいえる。
会社や取引先に「給料を上げてくれないなら、辞めるかもしれない」とか「値引きをしてくれないなら、次から発注しないかもしれない」などと駆け引きをして、適正額を超える待遇や価格の交渉をしたとしよう。
これが成功すると、あなたは「得をした」と思うかもしれない。しかし、こうした駆け引きや交渉で一方的に得をするということは、基本的にはない。
なぜなら、あなたが得をしているということは、相手が損をしているということと同義だからだ。
こちらの希望条件が通ったということは、相手は譲ったということだ。譲った側の立場になって考えれば自明だが、これによって相手から見たあなたの信用が高まることは決してない。「強引な人だ」
「自分の事情ばかりを言う人だ」という印象が残り、大きく信用を失っている可能性が高い。
辞めるということを材料に駆け引きをしなくても、仕事で結果を出せば必然的に給料は上がっていく。先述したが、会社からすれば、そうした有能な人材であれば、他社に取られたくないため、できる限り引き抜きや転職の可能性を下げておきたいと考えるからだ。
今回、値引きに応じてくれたのであれば、その分、ここぞという大きな案件で取引をお願いするなど、譲ってもらったことに報いるという配慮も必要だろう。このように、総合的に相手の得を考えてこそ、信用が培われていくのである。
お金はあなたの人格を映す鏡だ。その向き合い方次第で人間的信用を積み上げることもできれば、取り返しがつかないほど信用を落としてしまうこともある。根幹で必要なのは、
「相手に対して誠実に向き合う気持ち」「自分が譲ることで、相手に心地良くなってほしいという気持ち」だ。
「損して得取れ」という言葉があるように、自分の人間的な器を広げ、交渉や駆け引きで相手に勝とうとするのではなく、相手の得を考えて動く思考習慣をつけよう。この思考習慣が、見えないところであなたの信用を積み上げていく。そして、短期的な交渉によって得られたかもしれない「得」の何十倍、何百倍もの価値があるものへと形を変えていずれ戻ってくる。これが信用社会の本質なのだ。
(『お金原論』251〜254ページより転載)
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