「必要なときと、欲しいときに人はお金を使う」第11章[第22話]

元銀行員の男が起業をして、一時は成功の夢をつかみかけたが失敗する。男はなぜ自分が失敗したのか、その理由を、ジョーカーと名乗る怪しげな老人から教わっていく。”ファイナンシャルアカデミー代表”泉正人が贈る、お金と人間の再生の物語。

2017.12.1
「すごい! ぴったり目標通りだよ!」
一日の営業を終え、心地よい疲労感が全身に広がりました。内訳は、定番のおにぎりよりもクリームおにぎり単体の売り上げがやや上回っていました。
「今日はくたくたですね。厨房でおにぎりを作るタイミングも、どのおにぎりを追加で作るかというのも、まだ手探りですからね」
「でも、クリームおにぎりは、なかなか評判がいいみたいだ」
「まだ、わかりませんよ。今日のお客さんの反応が、明日以降に出ますからね。明日も頑張りましょう」
翌日の売り上げ個数は一五〇個。
 三日目の売り上げ個数は一八〇個。
 この日、お店に立っていると、初日に来てくれた黒髪のOLさんがもう一度お店に寄ってくれました。そして、クリームおにぎりを二個注文していきました。おしゃベりをしない感じの方でしたが、彼女には思わず聞いてしまいました。
「あ、あの、クリームおにぎりのお味はいかがでしたか?」
「すごい美味しかったですよ。あのクリームの中身は何なんですか?」
「ペーストした旬の魚と、細かく砕いた季節野菜を、特製の出汁で長時間煮詰めて味付けしたものです」
「そうですか、ここのクリームおにぎり、友達に話をしたら、食べてみたいって。だから、一個は友達の分なんです」
 この話を後で葉山にしたら、転げ回るほど嬉しがっていました。普段は職人気質で頑固で無口な葉山でしたが、こういう部分は根っからの料理人なんでしょうね。美味しいと言われて喜ぶ様子は、今まで見たことないような子どもみたいな反応でした。
 初週の売り上げは、予想よりも少し上回りました。日によって上下動はありましたが、上々の反応に僕らは満足しました。なかでも、日曜日の売り上げ個数は一八〇個。用意している分は、なんと完売しました!
 夕方には売り切れてしまったので、僕らは翌週からの仕入れについて、食材の卸問屋にあわてて電話をして、以前よりも少し増やした数を発注しました。
「大丈夫かい? オープン時だから売り上げがあるのは、当たり前だよ。当日の追加発注でも、うちは問題ないけど」
「いえ、いいんです。きっと売れますから。あはは」
「こりゃ、すごい自信だね~。これからもその調子で頼むよ」
 半分冗談のようなつもりで言った言葉ですが、その言葉は現実のものとなりました。翌週は、第一週をしのぐ売り上げを記録しました。
 まだまだ最初の段階でしたが、僕らはこの商売がきっとうまくいくと思いました。それは、準備段階に感じていたあやふやなものではなく、実際にお客さんとやりとりする中で、肌感覚が伴った現実として僕らは感じていました。
 ただひとつ、事前の予想と違っていたのは、クリームおにぎりばかりが売れるということでした。定番おにぎりが三だとしたら、クリームおにぎりの売り上げが七という割合です。正直、原価がきつかったので、僕らはこっそり、クリームおにぎりの値段だけ五〇円値上げしました。もちろん単純な値上げではなく、「クリームおにぎり、オープン特価二五〇円は今月まで!」とPOPをつけることも忘れませんでした。
 でも、値上げ後も売り上げ個数の右肩上がりの上昇カーブは止まりませんでしたね。値段を上げても、お客さんは気にせず買っていくのをみると、本当に不思議な気がしました。まだ、僕らの店にブランドカがあるとは思えなかったので、これは純粋にクリームおにぎりの商品としての訴求力が勝っていたのでしょう。
 人がモノを買うには、色々理由があると思いますが、大きくわけてふたつあると思います。

必要なときと、欲しいときに人はお金を使う。

 このふたつのうち、クリームおにぎりは、どちらかといったら、“欲しい”という気持ちをくすぐったのだと思います。『駅の近くに新しくできたおにぎり屋さん』、『そこで売られている今まで食べたことのないおにぎり』、どうやら口コミで広がりやすい要素を兼ね備えていたようです。
 オープン一カ月後、順調に売り上げはどんどん伸びていきました。“死の谷”も経験せずにです。広告も出さなかったので、とても幸運だったと思います。どんな業態のお店であっても、最初はお客さんがゼロの状態から始まるので数カ月~一年までは赤字を覚悟しなくてはいけないという死の谷も想定したのに、蓋をあけてみたら、思ってた以上に利益があがりました。今思えばラッキーだったのですが、当時は、起業コンサルである大谷と元銀行員である僕と才能ある料理人の葉山の力が合わさった結果であり、これが僕らの実力だと、ある意味、当然と受け止めるようになっていました。そして、僕らの次なるステップは、これをどこまでの成功にするのか? その点に移っていきました。
 オープン二カ月後には、一日一〇〇個台で推移していた売り上げ個数は、二〇〇個台に達しました。お客さんのリピート率も上がっているのも明らかでした。この頃、僕は毎日お店に立っていたので、笑顔で挨拶してくれるお客さんも増えていって楽しくて仕方ありませんでした。
 いつも来てくれるお客さんから見たら、僕は気のいいおにぎり屋の店長だったんでしょうね。まさか、銀行をやめて、一世一代の勝負に出てる男だなんて誰も思いもしなかったでしょう。でも、よく考えたら、そこらへんにあるお店や企業のすべてに誰かの人生がかかっているとしたら、すごいですよね。
 僕と葉山は毎日お店に出て営業していました。仕入れと仕込みは前日の晩に葉山がやってくれていました。おにぎりの製造は葉山が考案してくれたおにぎり製造器(米と具材を型に詰めてぎゅっと押せばおにぎりができ上がる)を使っていたので、朝は、僕とアルバイトの ふたりで回るようになっていました。
 ただ大谷だけは、自分の本業をまだ辞めていませんでした。「コンサルの肩書きを持っているからできることもあるんだ。だから、しばらくの間はすまんな」そう言って、店のマネージメントは僕と葉山に任せて、週に三回程度、お店をのぞきに来るくらいでした。もちろん、忙しい中、時間を割いて無理して来てくれているのはわかっていましたが、それは少し不満でした。
 ただ、うまくいっている間は、大谷の言う通りかな? と思って特に大谷を責めるようなことは言いませんでした。それは、大谷がその間の給料を辞退していたからかもしれません。
 第23話へ続く
(毎週金曜、7時更新)
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