失敗は怖くない!落ち込みから立ち直るための論語の教え

仕事の上で失敗して落ち込むことは誰にでもあることです。しかし、いかにそこから立ち直ることができるか、ということも、良い仕事をするために不可欠の素養であると言えます。この記事では『論語』を紐解きながら、そうした落ち込みから立ち直るための考え方を紹介していきます。

(1) 落ち込み続けていることは、さらなる失敗の危機!

(論語)衛霊公第十五29 過ちて改めざる、是を過ちと謂う(意訳)「過ちとは、過ちを犯したのに、それを改善しようとしないことである」
この言葉は、失敗とは何であるかということについて、興味深い教訓を示しています。ただ失敗をしているだけなら、それはまだ本当の意味での失敗ではなく、その失敗を改善しようとしないこと、その姿勢こそが、真の失敗である、ということを述べています。
言い換えるなら、失敗した後でそれを改善できたなら、それは結果的に失敗などしていなかったことになる、ということです。あなたが何かに失敗したとき、そこからどう状況を立て直すかが、本当の勝負です。落ち込んでいる暇はありません。

(2)  失敗を認めることは恥ずかしくない

(論語)学而第一8 過てちてはば則ち改むるに憚ること勿れ(意訳)「過ちを犯したことに気づいたら、体裁や対面などにとらわれず、ただちに過ちを改善するべきだ」
1つ前の言葉にもあった通り、孔子は一貫して失敗を速やかに改善することの必要性を訴えています。この言葉にある「憚ること勿れ」という表現にも、そうした強い思いが表れていると言えます。
失敗を失敗と認め、それを立て直そうとすることは、周りから「あいつは失敗した」という目で見られることを一度は受け入れることもあるでしょう。それでも、周囲の目を気にして何もしないでいることの方が、はるかに周りの評価を下げていると孔子は説いているように思えます。

(3) コミュニケーションを見直してみよう

(論語)里仁第四73 子曰わく、人の過や、各々其の党に於てす。過を観て斯に仁を知る。(意訳)「孔先生は次のように言った。人の過ちというものは、それぞれの人の種類によってなされるものだ。その人の過ちを見れば、その人の思いやりの深さが見えてくる」。
ここに出てくる「党」という言葉には、「範疇、カテゴリー」という意味があり、要するに、その人のもっている性格や人柄を指しています。ある失敗が生じたとき、その原因が個別の問題だけではなく、本人の人柄に由来するということは、よくあることですね。
失敗をしたときに、自分を責めるだけでは何も始まりません。もしも問題の一端が自分の性格や人柄にあるのならば、普段の行いやコミュニケーションのあり方から見直してみてはどうでしょうか。それは、回り回って、味方を増やし、自分の評価を挙げることにも繋がるかも知れません。

まとめ

いかがだったでしょうか。『論語』の教えは、失敗で落ち込んで立ち止まってしまっている人にとって、ともすれば厳しい言葉のようにも思えます。しかし、その思想の根幹にあるのは、失敗をして、それを速やかに改善するならば、あるいは改善しようと努力するならば、それは失敗ではない、という考えであると言えます。
だから、もしもあなたが失敗をして落ち込んでいるのだとしても、落ち込む必要などありません。何故なら、あなたはまだ失敗などしていないからです。あなたが失敗するかどうかは、これからどうするか、どう振舞っていくかで、決まるからです。
toyahiroshi

toyahiroshi

ライター。1988年生まれ。社会で戦う人たちを言葉で手助けしたいと思っています。関心の範囲はビジネス/カルチャー/アート/人間関係など。最近は人工知能と仕事の未来についても興味をもっています。
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