2017.8.15
『お金原論』という本の命題は、「お金とは何か」ということ。
「お金」という軸を通じて自分自身をニュートラルに見ることができれば、人生をもっともっと楽しめるようになるだろう。
これから毎回、『お金原論』の中身を少しずつ伝えていく。すべてが賛同を得られるものであるという確信はない。しかし、生活や人生と切っても切り離せない「お金」というものについて、1人でも多くの人に「お金とは何か」という議論に加わっていただければ幸いである。
「お金」という軸を通じて自分自身をニュートラルに見ることができれば、人生をもっともっと楽しめるようになるだろう。
これから毎回、『お金原論』の中身を少しずつ伝えていく。すべてが賛同を得られるものであるという確信はない。しかし、生活や人生と切っても切り離せない「お金」というものについて、1人でも多くの人に「お金とは何か」という議論に加わっていただければ幸いである。
お金を扱うこと。それは、数値をコントロールすること
「お金」の形が、単なる「数値」へと変わってきている今、私たちが身につけるべきスキルも、紙幣や硬貨の扱い方ではなくなってきている。
毎月、給料日になると銀行へ行ってATMを操作し、紙幣を下ろす。飲食店で割り勘にする際に、それぞれが財布を開き、何枚もの紙幣をテーブルの上に並べてやり取りする。ポチ袋に紙幣を入れて、お正月に親戚に配る。こうした光景が年を追うごとに減っていくのは自明の理だろう。
現代でも、結婚のご祝儀や、葬式の香典では「紙幣」を包んで持っていく、というのが今のところ主流だ。そしてそこには、お祝い事は新札で、弔事は折り目のある紙幣で、といった、独特の礼儀が存在する。
紙幣そのものの持つ価値は、新札であっても旧札であっても同じなのに、考えてみればとても奇異な慣習だ。こうした慣習も、あと50年ほど経過すれば、「歴史上の不思議な慣習」としてメディアで面白おかしく紹介されるような日が来るのかもしれない。
子どもに対し、「電子マネーはお金のありがたみがわからないから使わせない」という親がいるが、こうしたお金の歴史的変化を鑑みると、正しい教えとはいえない。紙幣や効果という実物資産の扱い方だけを教わって大人になり、自ら経済社会に身を置いたときに、果たして「お金」という数値をうまく扱えるようになるだろうか。
大人でもクレジットカードを持っていると気が大きくなって財布の紐が緩んでしまうという人がたまにいるが、これも「クレジットカード」という目に見える長方形のものをお金の代替物と錯覚するがゆえに起こる現象だ。お金というものを物質として捉えていることの弊害といえる。
これからの時代は、物質としての「お金」の扱い方ではなく、数値としての「お金」のコントロール方法を学んでいくこと、教えていくことが重要だ。このお金の「形」の歴史的変化に気づかず、財布に入っている紙幣やクレジットカードの扱い方ばかりに意識を向けていては、未来の可能性を大きく広げるどころか、時代の変化の波の中で気づかないうちに溺れ死んでしまいかねない。
(『お金原論』4〜6ページより転載)
via amzn.asia