「魚の釣り方を教える」という社会還元~『お金原論』[第18回]〜

「お金」とは何か ── 。このシンプルな命題に、現代の視点から向き合おうというのが『お金原論』という新しい学問だ。現代において、私たちの生活とお金とは一蓮托生だ。お金の悩みから解放され、自由な時間を産み出し、心に描く夢のライフスタイルを実現したい。そんなあなたへ。

2018.4.3
『お金原論』という本の命題は、「お金とは何か」ということ。
「お金」という軸を通じて自分自身をニュートラルに見ることができれば、人生をもっともっと楽しめるようになるだろう。
これから毎回、『お金原論』の中身を少しずつ伝えていく。すべてが賛同を得られるものであるという確信はない。しかし、生活や人生と切っても切り離せない「お金」というものについて、1人でも多くの人に「お金とは何か」という議論に加わっていただければ幸いである。

「魚の釣り方を教える」という社会還元

社会還元の方法は、何もお金や物資を送ることに限定された話ではない。ボランティアのように労働力を差し出すということだけでもない。なぜならば、あなたの資産は、お金や労働力だけではないからだ。
もしあなたが、人の心を動かすスピーチが得意で、どうすればそんなスピーチができるようになるのかを人に教えられるとしたら、毎月1,000円をどこかに寄付するよりも、毎月友人や知り合いにその方法を教えてあげたほうが価値が大きくなる可能性がある。
あなたの指導によって、5人の友人のスピーチのスキルが上がったとしよう。その5人が、さらにたくさんの人にスピーチの方法を伝えていけば、世の中にスピーチの上手な人がどんどん増えていく。あなたが生み出した価値が、加速度的に世の中に広がっていく。
目を凝らせば、こうした「無形資産」は何かしらあなたの中に眠っているはずだ。
2016年4月に起こった一連の熊本地震では、炊き出しや瓦礫の運搬、救援物資の仕分けといったボランティアとともに、50名ほどの登山愛好家が、命綱をつけて被災した住宅の屋根に登り、雨漏り対策としてブルーシートを張っていた。こうした趣味で培ったスキルの中にも、普段から周りの人に教えたり、広めたりしておければ、今後震災が起こった際に、間接的に何十、何百人もの人を救うことができるかもしれないものがあるということだ。
これはスキルに限らない。正しい考え方や物事の見方を伝えたり、お得な情報を教えたりといったことでもよい。あなたが発信した「良いこと」が世の中に広がっていけば、それは立派な社会還元になる。
一度、改めて自分の長所について振り返り、自分が持っている「無形資産」の棚卸しをしてみよう。寄付やボランティアは、あなたのお金や労働力、つまり「魚」をダイレクトに提供することだが、あなたがこれまでの人生で培ったスキルや経験を社会に還元していくことは、いわば「魚の釣り方」を社会に教えていく、ということだ。
有益な情報や経験、スキルを周りに惜しみなく伝えていけば、それが巡り巡って世の中を良くすることにつながる。そして、与えれば与えるほど、自分自身の人としての器が大きくなる。周りにも、惜しみなく与えようという「類友」が集まってくる。こうして、結果的に人生の充足感が増していくのだ。

「自由」そして「ゆとり」とは

お金の教養を身につけることの最終ゴールは、経済的にも心理的にも自由でゆとりのある人生を実現することにある。
ここでいう自由とは、「自ら方向を定め、そこに向かって自ら歩んでいける状態」のことを指す。やりたいことを自分で定め、お金や時間といったものの制約を受けずに、多くの選択肢の中から実現に向かっていける状態こそが自由な状態といえる。
一方、ゆとりとは何だろうか。これは、言い換えると「自らが経済的・心理的に恵まれ、それを社会に還元できている状態」といえるだろう。
自分だけが経済的に豊かになったとしても、周りの人々や社会に対して何も還元できていない状態では、人はおそらく、経済的なゆとりは実感できても、心理的にはどこか物足りなさを感じるはずだ。これまで培った自分のスキルや経験を活用し、周りの人々や社会が必要としている価値を提供する。それが周りの人々や社会で活かされる。
こうした社会還元は、裏を返すと、自分が社会から求められるということでもある。そして、この「求められる」ということこそが、人生にとってかけがえのない、本物の「ゆとり」を生み出すのではないだろうか。
(『お金原論』165〜167ページより転載)
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