──『手ぶらで生きる。見栄と財布を捨てて、自由になる50の方法』特別編集[第2回]ミニマリストしぶ
だから「面倒くさい」ことをしなくて済む方法はないか、もっと楽になるよう効率化できないかを、常に考えている。たとえば、こんな具合に。
・片付け→ 物を減らして散らからないようにする
・掃除→お掃除ロボットに任せる
・労働→生活コストを抑えて、稼ぐべき金額を下げる
こうやって「面倒くさい」をなくしていくと、「楽しい」に集中するための余白が生まれる。
先日、「ポーランドで開発された、ゴミを入れるだけで自動分別してくれるIoTゴミ箱」を紹介する記事の見出しにあった「努力よりもテクノロジー」というコピーに、強烈に惹かれてしまった。
片付けする努力、掃除する努力、労働する努力、そして、ゴミを分別する努力・・・・・・
このように、今まではなんにでも努力が求められ、それができない、つまり「がんばれない」人には「ダメ人間」のレッテルが貼られていた。しかし、テクノロジーが進化した今、「努力=がんばること」は無駄だ。
努力は美徳とされるが、「がんばろう」と思っている時点で適性がない証拠。片付けも、掃除も、労働も、本当に好きならば自然と体が動いているはずだ。
だから僕は、「面倒くさい」ことを排除し、「がんばらなくても継続できる」、つまり「好きなこと」だけに力を注げる環境を整えたい。努力が大嫌いな僕だけど、唯一「努力をしない努力」だけはする。
「面倒くさい」と感じることがあったら、効率化や自動化を図れないか、あるいは、なくすことはできないか、を常に検討する。
そもそも、昔は掃除や洗濯、炊飯、支払いなど、あらゆることが手作業で行われていたのだ。テクノロジーの進化は、代々の「面倒くさがり屋」の「努 力をしない努力」の賜物である。偉大なる「面倒くさがり屋」の先人たちには感謝するばかりだ。
例としてテクノロジーを挙げたけれど、テクノロジーに頼らなくても、たとえば、部屋の物を減らすだけでも「効率化」「自動化」「やめる」のどれかは達成できるはず。
「努力·気合·根性」なんて人の意思はあてにならないので、「努力をしないで済むように、どう努力したらいいか」と考えよう。
僕は「楽しい」ことに集中できる人生にしたい。だから「面倒くさい」という感情に対して、敏感であり続けたいと思う。努力せずともうまくいく環境をつくる、そんな「努力しない天才」になる素質を、ミニマリストは秘めている。